Contents : 問題解決法の極意? 母国語か外国語か? 化学結合の本質? 化学反応の描像?
ここは、 Koichi Ohno の 「つぶやき」 サイトです。 (更新日時:)
How to Solve Problems
どのようにすれば問題が解決できるのか? 問題解法の極意は?
あなたなら、どうしますか。
簡単に解けるやさしい問題なら、その解法を取沙汰するには及びません。
ここでは、すぐには解けない問題への対処法について検討してみましょう。
問題解法をその主体で分類すると、つぎの3通りになります。
(1)他力 (2)協力 (3)自力
「先達はあらまほしきもの」「3人寄れば文殊の知恵」など、他人の経験や知恵を利用する対
処法は、古くからよく知られており、自力だけより優れた方法と考えられています。
問題の解決に他人の関与を頼むには、まず、問題解決に役立つ他人の存在が必要です。そのよ
うな他人が存在したとしても、こちらの依頼にたやすく応えてくれるとは限りません。人徳や
人望、金力や権力が十分にないと、他人を動かすことは簡単なことではありません。
他人の関与を前提とする(1)や(2)による解法を利用するには、人間関係を磨き、財力を
築き上げ、指導力や権威を獲得することが望まれるでしょう。家族的な関係や友情・仲間意識
が功を奏する場合も多々あると考えられます。また、必ずしも推奨すべきではありませんが、
政治家や宗教家、カリスマあるいは扇動者の資質が、他人を利用する問題解決に非常に役立つ
かもしれません。
(3)の「自力」で問題を解くにはどうしたらよいでしょうか。
教えてくれる人や助け舟を出してくれる人が近くに居れば、援助を得るのが手っ取り早い解決
法ですが、他人を当てにすることができない場合は、自らの力に頼るしかありません。
自力ですぐに解けない問題に直面すれば、暗中模索の状況に陥ってしまいがちです。そのよう
な困難な状況での自力による解決策は、つぎの3種類に大別されます。 、
(A)調べる (B)試す (C)考える
直接他人の力を借りることができなくても、間接的に他人の知恵を利用することはできます。
そうです。人類が産み出した知恵の宝庫である書物や急激に威力を増しているインターネット
等を利用すればよいのです。つまり、文献調査や情報検索を行い、調べてみればよいのです。
ここで、重要な注意点としては、その問題の解が既に存在し到達可能でなくてはなりません。
図書館やWebを利用する力量が問われます。また、こうした方法で得られる情報の真偽・信頼
性を評価する眼識も必要とされます。
情報の真偽については、重要なことがあります。情報源のうち自費出版や自作のビラのよう
な情報発信者の意のままのものは、編集者の検閲を経ていませんので、記載された情報の信頼
性はまったく保証されません。対して、執筆を依頼された(何らかの基準で選ばれた)著者の
原稿に編集者が手直しする作業を加えた出版物は、それなりの信頼性をもつと考えてよいでし
ょう。ただし出版社や報道機関などが良識のある情報発信をしているという前提が必要です。
情報操作を意図的に行うようなケースでは、むしろその操作の網の目にひっかからない個人に
よる自由な発信の方が真実をありのまま伝えることもあります。
それでは、Web上に載っている情報はどうでしょうか。自由に発信された情報がそのまま出
ているケースでは、一般に玉石混淆で、正しい情報であるという保証はまったくありません。
「大野公一」の写真と称して多数の写真や画像が掲載されているWebページがありますが、掲載
された写真や画像の大半が私とは別人の写真やまったく無関係の画像で、私自身の写真も含ま
れてはいますが、非常に迷惑なコンテンツです。同様に私個人と関係が深い人の「相関図」が
出ているWebページがあります。たしかに、私とのつながりが深い人も含まれてはいますが、
まったく会ったこともなく全然知らない人が、たくさん私の周りを囲んでいるのを見ると、怒
りを通り越し吐き気と眩暈を禁じ得ない状態になります。こうした誤謬に満ちた情報が、まこ
としやかにWeb上に掲げられて何年もの間衆目にさらされ続けていることに疑問を感じている
人は多いのではありませんか。Web上にある情報には、たいへん便利でありがたい情報も多い
ので、Webそのもが罪深いということはありませんが、誤謬に満ちた情報の野放しを回避する
手立てがあるとよいのですが・・・・。「いいね」といった、一般人の評価をどれだけ集めて
いるかを競う風潮にも、危険な面があると思います。このごろよくみられる書籍の評価の書き
込みの中には、よく読みもせずに勝手な批評をし著作物をいたずらに貶める記事があります。
落書きともいえるような横暴で不遜な書き込みがWeb上に横溢していることにも、情報化社会
の負の側面が現れているように思われます。
自力で問題を解決するのに「(A)調べる」を利用することの意義と危険性について述べまし
た。ここで、誰もまだ解いていない問題を解くこと、誰にもわからないことの答えをみつけだ
すことについて考えてみましょう。そうした場合に、「(B)試す」と「(C)考える」が、解を
得る可能性のある方法として注目されます。
数学の方程式に解を予想して代入し、等式が成り立つかどうかを「試す」ことを繰り返して
解を見つけ出す方法があります。試行錯誤に陥りがちな方法ですが、それでもうまく解を求め
ることができたりしますので、昔から知られている解法の一つです。問題に対して「試す」こ
とをいろいろと繰り返しつつ正しい答えを見つけ出そうとすることは、直感や運に左右される
とはいえ、正しい答えを見つけ出す可能性があるため、あながち過小評価できない方法です。
いろいろやって試すことは、実験して何かをつくりだしたり発見したりしようとするエンジニ
アや科学者など人類の未来を切り開いてくれる人たちがとる手法でもあります。誰にも知られ
ていなかったこと、誰にもわからなかったことが、発明されたり、発見されたりすることが、
この方法で成し遂げられてきたことは枚挙にいとまがありません。
知識や経験は、「試す」際に役立つことが多いのは言うまでもありませんが、「考える」際
に既存の情報をベースにして論理考証で問題の解決を図るときにも役立ちます。もちろん、依
って立つ知識が間違いだらけだと危ういことになりかねませんし、中途半端な経験も、かえっ
て誤った論理への引き金になるやもしれませんので、「考える」ときの足場は、できるだけし
っかりとしたものであることが望まれます。未知のことへのチャレンジでは、知識や経験では
推し量れないことが往々にしてあるため、かえって知識や経験が妨げなになるとさえいわれる
こともあります。一方、誰でも知っているようなことや誰でも少なからず体験しているような
ことを、もしも会得せずに「考える」ことを進めると、非効率であったり道に迷ったりしがち
ですので、適切に知識や経験をもつことは大切なことだといえます。知識や経験の不足が世間
を騒がせる大間違いや大事件につながることさえあり得ます。
既存の知識も重要な場合が多々あるので、なるべく効率よくそうした知識を身に付けた上で
既成概念にはとらわれず、柔軟な発想で、よく「考えて」、誰にも知られていなかったこと見
つけたり、誰にもわからなかったことを解決したりすることは、問題解法のなかでも、とりわ
け重要な手法ですが、確実に解答にたどり着くと決まったものではありません。そこに至るに
は、不可能かどうか決まってはいないことに、ひたすら執着し果敢に挑戦する勇気と情熱が大
切です。このことは、「試す」手法をとる場合においても同様です。このようなチャレンジ精
神があれば、誰にも解かれていない問題の解決が、いろいろな人たちによって、今後も間違い
なくなされていくであろうと確信することができます。
**************************************************************************************
もう一度、最初に戻りましょう。
どのようにすれば問題が解決できるのか? 問題解法の極意は?
あなたは、これらの質問にどのように答えますか。
**************************************************************************************
to the top of this page
母国語で学ぶ優位性
国際化のために外国語の習得と活用が重要であるのはもちろんです。だからといって、学校教育
で日本語を捨て英語に置き換えようとするのは、日本語の実力を理解しない人たちの軽挙です。
大学教育や研究の現場で、日本語を捨てて英語化しようとするのは、高い学術を日本語で展開し
世界をリードする科学技術を産み出してきた日本人の実力を軽んじると同時に、わざわざ英語を
母国語として育った人たちから遅れをとり、ハンディーを背負って取り返しのつかない奈落へと
滑り落ちて、日本の衰退を招きかねないたいへん危険な企てです。
外国語によるよりも母国語による方が、圧倒的に速く情報を収集・習得できます。また、母国語
の方が、より深く理解でき、いろいろな知識の連携もはるかにスムーズになるため、より高度な
知的作業ができます。
もしも、日本語で書かれた情報が、外国語(例えば英語)と比べて、はるかに貧弱なら、日本語
では十分な活動ができないことは明らかです。例外的に英語でないとお話にならない分野やジャ
ンルがあることは確かですが、人類が築いてきた文化の大半は日本語で学ぶことができます。人
類の文化の大半を母国語で学ぶことができる言語は非常に少なく、現在では、英語が一番、次が
日本語、さらにその次にドイツ語・ロシア語などが続きます。フランス語もよい方ですが、科学
の研究室の書棚を見るとフランス語の本より英語の本の方が圧倒的に多いのが普通です。オラン
ダやデンマークなどでは母国語の図書は少なく、ほとんどが英語の図書で覆われています。
最先端の文献を除けば、たいていのことは日本語で学べます。Windows、Fortran、Linux、
HTML等、コンピュータ関係の技術書は全部日本語で読めます。英語で読むのと日本語とでは、
日本語の方が時間的に数分の1以下で済むので、同じ時間に、数倍よけいに学べます。コピュー
タ関係だけでなく、ほとんどすべてのジャンルで、母国語の日本語で学ぶことができます。母国
語の本で学べない非常に多くの人たちと比べて、日本人はたいへん優位な位置にいます。日本で
は、街の本屋さんにもかなり高レベルのものが置いてあります。また、本の価格もそれほど高く
ありません。このため、日本では、母国語で高度な文化を謳歌することができ、英語圏に決して
負けておらず、それ以外の外国語を使う国々を遥かに凌駕しています。
まとめると
母国語である日本語での情報収拾は、英語によるより、数倍から数十倍も速い。このため、学習
や教育には日本語を使う方がはるかに効率がよいのです。
母国語の文化レベルが日本ほど高くない国では、そうはいきません。英語圏と西欧の一部の国を
除くと、ほとんどの国で、母国語では高度な学問をすることができません。そういう国では英語
で学ぶ方が効率がよくなります。しかし、そうした国の人たちは、英語を母国語としている人や
日本人と比べ学習の効率が低くなりがちで、先端レベルの競争で著しいハンディを背負っていま
す。幼少期から英語のnativeなみの英語教育を受けない限り、そのハンディは解消しません。で
も、その結果、その国の母国語の文化は、欧米と比べて低いままで、特別な英語教育を受けられ
ない大半の人たちの文化的レベルは低迷し、英語圏との格差は拡大する一方です。
明治初期に、外国人教師を大勢導入して、日本の文化を西欧並みにすることを急ぎましたが、そ
の後、日本語で高レベルの教育ができはじめるとすぐに、学習の現場から外国語による教育は排
除し日本語による教育に限定した先見の明に、感謝しなければなりません。
量子力学・素粒子物理学の例
日本語で専門領域の学問を、学問の誕生からあまり時を経ずに学ぶことができることを示す実例
について、量子力学や素粒子物理学を例にとって、ふれておきましょう。量子力学はシュレーデ
ィンガー方程式が出現した1926年頃に始まります。当時は、ドイツ語や英語の文献を読まなけれ
ば、この新しい学問の神髄に触れることはできませんでしたが、日本語ではどうでしょうか。詳
しく調べてみたわけではありませんが、電子回折の実験的検証で著名な菊池正士がまとめた「量
量子力學」という本は、岩波書店から、昭和8年(1933年)に出版されています。シュレー
ディンガー方程式はもとよりマトリック力学、Diracの電子論や輻射場の量子化まで、245頁
ほどの紙数で、しっかりとまとめられています。素粒子物理学の分野でも、「原子核及び宇宙線
の理論」という本が、湯川秀樹・坂田昌一著で、岩波書店から、昭和17年(1942年)に出
版されており、当時の素粒子物理学のエッセンスが212頁という紙数でまとめられています。
それよりかなり後になりますが、量子力学Ⅰ・Ⅱという本が朝永振一郎の手でまとめられ、みす
ず書房から昭和27年(1952年)に出版され、私を含め、1950年代以降に大学生となった多
くの学徒の座右の書として愛読されました。これらの日本語の本が、同分野の英語の本と比べて
遜色ないことはいうまでもありません。こうした例からも明らかなように、日本では、先端領域
の重要事項を日本語の本で学ぶことができるという、たいへんな利点があります。分野によって
世界の最先端をリードする人が少ない領域もありますが、そうした場合であっても、日本語のテ
キスト解説書がどんどん出版されており、英語でないとまったく学べないという分野は、ほとん
どないといってよいのが、日本語の文化のたいへん著しい特色になっています。
The Essence of Chemical Bonding
化学結合はどのような仕組みでできるのか? 化学結合の本質は何か?
あなたは、これらの質問に答えることができますか。
「その答えは大学レベルのどのテキストにも記されている。」 と思うかもしれませんが、
「ほんとど大半のテキストが間違っている。」 という主張があるのです。
化学結合について書かれた本は、日本語だけでも何百冊もあり、世界中では何千冊にも及ぶは
ずです。その大半が間違っているというのですから、ことは重大です。
問題の本質に触れる前に、まずは、化学結合の理論の歴史を簡単にふりかえってみましょう。
量子力学誕生以前にも、化学結合の理論はありましたが、それらは理論的な根拠が十分とはい
えないものでしたので、ここではふれないことにします。
量子力学に基づいて化学結合の謎を解き明かす試みは、 Heitler-Londonの原子価結合論が
最初です。2個の水素原子が近づいて、エネルギーが下がり、ある距離で極小を与えることが
示されたのです。
その後、量子力学を踏まえた化学結合の理解は、多くの実験事実と照らしあわされながら進展
し、その成果はPauling によって「化学結合論」として発表され、世界中の科学者の教本と
して愛読されました。原子価結合論とは別に、HundやMulliken等によって分子軌道論が開発
され、化学結合の理解が次第に深められて行きました。その事情は、Coulsonの著書「化学結
合論」に詳しく記されており、原子価結合論と分子軌道論の比較も詳しく行われています。
これらの化学結合理論は、ポーリング、マリケン、ウッドワード、ホフマン、福井といった、
著名なノーベル賞受賞者がその研究の基盤として用いてきたものです。したがって、現在使わ
れている多くのテキストがこの線に沿ったものであることは、それなりの合理性があります。
ことの発端となったのは、1962年に発表されたKlaus Ruedenberg の論文で、Heitler-
London の原子価結合論が運動エネルギーと位置エネルギーの平均値(期待値)の間に成り立
つはずのビリアル定理に違反していることを指摘したのです。ビリアル定理は量子力学誕生以
前から知られている重要な定理で、これを満たさないような不正確な議論では、化学結合の本
質の説明にはなっていないというのです。また、原子軌道の線形結合を用いる分子軌道論の場
合でも、ビリアル定理に反するのが普通なので、分子軌道論にもとづく化学結合論も、化学結
合の本質について間違った説明を与えているということになります。
水素分子について、ビリアル定理を満たす波動関数を用いて2つの原子から分子ができるとき
の電子密度の変化を調べてみると、原子核の近くの電子密度が分子の形成にともなって大きく
なっているため、それが原因で位置エネルギーが大幅に低下して、化学結合ができると主張さ
れています。また、運動エネルギーを調べてみると原子間の干渉効果で運動エネルギーが大幅
に減少しているため、この効果も化学結合の形成に拍車をかけているとされています。
つまり、原子価結合論も分子軌道論もともに正確な波動関数が満たすはずのビリアル定理を満
たしておらず、エネルギーが低下して化学結合ができる本質について、またく誤っているとい
う指摘が、最近も続けられているのです。
さあどうでしょうか。何百冊、何千冊ものテキストを大幅に書き換えるべきなのでしょうか?
これまでの「理解」を完全に翻して「宗旨替え」しなければいけないのでしょうか?
ペ-ジの先頭 Koichi Ohnoの探究 HOME
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● Koichi Ohnoの探究 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ビリアル定理によりかかる論点に、実は、2つほど大きな誤解が含まれています。
第一に、化学結合力の問題でビリアル定理にこだわることに重大な問題があります。
確かにビリアル定理は厳密な波動関数がエネルギーの極小点において満たすべきものです。
そのことは正しい。けれども、ビリアル定理を満たさない理論的取り扱いでは、化学結合を正
しく理解することはできないとまで決めつけるのは大きな勇み足です。
ビリアル定理では、電子の運動エネルギーと位置エネルギーの平均値(期待値)の大きさの
関係を詳しく調べることになります。ビリアル定理を正しく満たす場合、電子の運動エネルギ
ーは増加し位置エネルギーがそれを上回るほど大きく減少して化学結合ができるという結論に
なります。そして、位置エネルギーの大きな低下には原子核近くの電子分布の増加が関係して
いるので、化学結合の形成は原子核近くに電子分布が集まることによると主張されています。
この議論、結合ができる原因を調べるのに、電子のエネルギーを運動エネルギーと位置エネル
ギーに分けて調べていますが、それは必須のことでしょうか。
化学結合の形成については、原子核どうしがその正電荷で互いに反発して離れてしまわない
で、有限の距離のところにとどまって「結合する」仕組みを解き明かすことが重要です。その
議論に直接かかわるのは、電子の運動エネルギーと位置エネルギの和に原子核どうしの相互作
用エネルギーを加え合わせたエネルギーが原子核どうしの位置関係でどう変わるかを表す「断
熱ポテンシャル」が問題です。断熱ポテンシャルは原子核に対する位置エネルギーですので、
化学結合力には、電子の位置エネルギー(や運動エネルギー)ではなく、原子核に対する位置
エネルギーが、その本質と直接かかわっているのです。
つまり、電子の運動エネルギーや位置エネルギーではなく、それらの和できまる断熱ポテン
シャルが原子核の位置に対してどう変化するかが、その原子核に働く力を表しますので、この
「力」を直接問題にすることが結合力の由来の考察に一番大切なことです。このような原子核
に働く力に目を向けず、ビリアル定理を金科玉条とするアプローチは、エネルギーの内訳に焦
点を当てていてあたかも物理的本質に深く切り込んでいるかのように見えますが、残念ながら
化学結合がどのような「力」で生じるかについて明確にしてくれているとはいえません。
断熱ポテンシャルに極小を生じるかどうかが、化学結合の形成に決定的に重要であることに
焦点を当てると、ビリアル定理を厳格に満たすかどうかは、さほど重要ではなくなります。も
とより、ビリアル定理は、断熱ポテンシャルの平衡点でしか成立しないものですし、波動関数
が厳密解に匹敵するほど高精度でないと満たされないものです。したがって、断熱ポテンシャ
ルの極小がどのような仕組みで生じるかを理解しようとするときに、厳密解という非常に限ら
れたもので判断しようとすると、大筋を理解し損ねる危険性があります。
古典論で説明し理解し予測すらできることに、量子論を持ち込み量子論でしかわからない側
面に焦点を当てて正しくないとするのは、いかがなものでしょうか。また、非相対論でわかる
ことに、相対論を持ち込むことも、かえって理解の妨げになることが多々あります。
科学の世界には、厳密な理論ではなく、近似を含む理論で正しい理解や結論を導くことが、
沢山あります。たとえば、原子の電子殻模型、すなわち、K殻、L殻、M殻、さらに細かく1s,
2s, 2p, 3s, 3p, 3dといった副殻にまでわけて考えるのは、近似であり、厳密に正しいと
はいえませんが、それに基づいて化学や物理の理論の多くが構築され発展しています。科学現
象の多くが、近似的な理論で説明され、さらに予測すらされているのです。
したがって、ビリアル定理に従わなくても多くの化学現象を説明できるような近似理論があ
っても、なんら不思議ではありません。多くの近似計算で、原子核と電子の集団のエネルギー
が原子核間距離が小さくなるにつれ減少して結合ができること、また、結合性軌道や反結合性
軌道の働きで、結合が形成されたり結合が解離したりすることが、うまく説明されています。
このことは、ポーリング、マリケン、ウッドワード、ホフマン、福井といった、著名なノーベ
ル賞受賞者が、原子価結合論や分子軌道論を研究基盤として重要な研究成果をあげたことや、
こうした近似理論に基づいて現在もたくさんの研究論文が発表され、化学現象の理解や予測に
大いに役立てられていることから明らかだと思います。
第二に、エネルギーの低下や結合をもたらす「力」が何によってもたらされているかの根本認
識において、「結合力」の本質を支配する重要な「定理」が見逃されています。
実際に、電子の確率分布が結合の形成にともなって原子核の近傍に集まる傾向が認められま
すので、そのことがエネルギーの低下と「結合力」とをもたらすと考えることがごく自然な議
論のように思えるかもしれませんが、これは大きな勘違いをしています。
なぜ原子間に結合力が生じるかの本質は、Heitler-London の原子価結合論が提出されて
から十年余り経過した1939年に Feynmanが発表した「静電定理」によって暴き出すことがで
きます。この静電定理は、まさに断熱ポテンシャルが原子核の位置の変化につれてどう変わる
か(すなわち、原子核に働く力)を量子力学に基づいて議論するための基礎となる定理です。
ところが Feynmanは、Schwinger、朝永らとともに量子電磁力学の発展に貢献し、1965年に
ノーベル物理学賞を受賞しており、 大変著名ですが、「静電定理」を発表したときには、まだ
マサチューセッツ工科大学の学生であったため、この定理はそれほど注目を集めるには至りま
せんでした。
今でも「Feynmanの静電定理」についてふれているテキストは多くはありませんが、近年、
内外のテキストに掲載されるケースが増えてきました。この静電定理によると、正電荷をもつ
原子核どうしには互いに斥力が働き、正電荷をもつ原子核と負電荷をもつ電子とは互いに引き
合うため、「個々の原子核には、他の原子核からの斥力(反発力)の合力と、すべての電子か
らの引力の合力とが働く。」ということになります。ここで、量子力学の効果は、「電子から
の引力の合力」という部分が、「シュレーディンガー方程式を解いて求められる電子密度から
の引力の合力」として考慮されるというのです。結局、 Feynmanの静電定理によると、原子
核同士の斥力を電子密度と原子核との引力で打ち消すことで安定な結合を生じるのです。
結合力の原因として、エネルギーではなく、「力」そのものに注目することが大切です。力
に注目することで、エネルギーに着目したのではわからないことが浮き彫りにされてきます。
電子密度がどのように結合力に関係するかを理解するために、まず、単独の原子の場合につ
いて考えてみましょう。原子の場合、原子核の周囲の電荷分布は、1sでも2sでも、2pや
3s、3p、3dでも、すべて原子核の位置を中心とする点対称になるため、どの原子軌道の
電子密度も、原子核に与える引力の合力は完全に消えてしまいます。つまり、原子核近傍の点
対称な電子分布は、どんなに電子密度が高くても原子核を特定の方向に引っ張る力をもたらし
ません。
このことは、分子の形成にともなって、原子核近傍の電子密度が大きく上昇し、エネルギー
を大きく下げる効果があっても、単独の原子の点対称性からの変形が十分でないなら、原子核
を結合する相手の原子核の方に引っ張る「結合力」にはならないことを示唆しています。ビリ
アル定理に基づく化学結合形成の物理的描像で原子核近傍の電子密度の上昇こそが結合力の原
因であるかのように主張することは、原子核に働く静電気力を考えるとその立場を失います。
では、どのようにして、結合力が生じるのでしょうか。その原因は、原子軌道どうしの混じ
り合い、電子波としての原子軌道どうしの干渉効果によるのです。分子軌道を原子軌道の線形
結合で表して、この効果を考察してみましょう。
原子軌道どうしの干渉効果は大きく分けて2種類あります。その1つは、隣接する原子の原
子軌道との干渉効果(原子間干渉効果)であり、もう一つは、同じ原子の原子軌道との干渉効
果(原子内干渉効果)です。化学結合の形成は、原子どうしの接近がきっかけになるので、ま
ず原子間干渉効果について考え、原子内干渉効果については後で考えることにしましょう。
原子間の干渉効果が2つの原子核の間で電子密度を高めるように(結合的に)働くと、その
電子密度(重なり領域の電子密度という)は、2つの原子核をその電子密度が高い位置、すな
わち原子どうしを結ぶ中間点付近に引き寄せる働きをもつことになり、結合が生じます。もち
ろん、原子軌道どうしの干渉が互いに打消し合う(反結合的な)ときは、2つの原子核間で電
子密度が減少してしまうことになり、2つの原子が互いに離れる方向に押し出されてしまう反
結合力が生じます。つまり、分子軌道の形成にともなって、重なり領域の電子密度が、孤立し
た原子の電子密度を足し合わせた場合より、大きくなる(結合的)か、それとも、小さくなる
(反結合的)かによって、結合の形成や開裂を論じることができるのです。
考察を後に回した原子内干渉効果は、単独の原子では原子の周囲の状況が球対称なので起こ
りませんが、原子が置かれた環境に異方性があると原子間干渉効果に引きずられて発生し、原
子間干渉効果だけの場合より強い結合力をもたらします。そのような重要な効果をもつのは同
じ原子の価電子の軌道どうしの干渉効果で、これは原子価軌道どうしが混じり合う効果ともみ
なすことができ、伝統的に混成軌道とよばれているものの形成に相当しています。s軌道とp軌
道が混じり合ったsp、sp2、sp3などの混成軌道が、原子軌道単独の場合の点対称な電子分布
ではなく、結合の相手の方向に高い電子分布をもつことで、その混成軌道の形成に寄与してい
る原子の原子核を結合相手の原子核の方向へと引っ張って、結合力を強める働きを持ちます。
このため、混成軌道の形成による原子内干渉効果と原子間干渉効果が同方向に働くと、強い原
子間結合が形成されます。
このような化学結合の描像は、多くのテキストに書かれている分子軌道論による描像と同じ
結論を導き、従来からのテキストの取り扱いを、「力」の立場からサポートしています。した
がって、世界中のテキストに書かれている化学結合の形成に関する記述は、ほぼそのままにし
ても、大きな間違いはないといえます。もちろん、ここで議論したように、Feynmanの静電定
理に基づいて、「力」の立場から化学結合力が論じられるようになれば、化学結合に関する科
学的論証を大きく深化させることができるでしょう。
なお、原子内干渉効果には、原子価軌道ではなく、内殻の原子軌道や外殻の原子軌道が同じ
原子核上で混じり合うことでも起きますが、それによる電子密度の非対称性の導入効果は、す
でに述べた原子間干渉効果や価電子の原子内干渉効果と比べれば、結合力への寄与は小さいの
で、無視しても、大勢には影響しません。(原子核近傍の電子分布の非対称性は、化学結合力
としてではなく、いわゆるファン・デル・ワールス力(分散力)の原因であることが、上述の
Feynmanの論文中で指摘されています。電子相関を十分に評価した高精度の波動関数の電子密
度解析からも、このことは明瞭に実証されています。)
結局、原子核近傍の電子密度が大きく増強しても、原子核を結合相手の方向に強く引っ張る
結合力の原因として支配的な寄与をもつことにはなりません。ビリアル定理と原子核近傍の電
子分布の増加に着目する議論は、「力」そのものに着目する Feynmanの静電定理を考慮して
いないため、化学結合論の主役の場に躍り出ることはできないのです。
Feynmanの静電定理に基づく上述の議論の根幹は、電子密度に由来する力を、同一原子由来、
原子間交差項由来、他原子由来に分割して解析することで既に明らかにされており、1961年
以降、R.W. Baderらに始まる多数の論文で詳しく論じられています。
また、電子密度の振る舞いに基づいて化学結合の本質を議論することは、「電子密度が量子
系のすべてを記述する」とする密度汎関数理論の基本定理とも符号する合理的なものであると
いうことができます。
ここで、電子密度に基づく議論を進めるとき、当然のことですが、できるだけ正確な電子密
度に基づいて議論するに越したことはありません。計算の「土台」となる基底関数として、軌
道指数の異なるものを複数導入して、原子から分子への移行に伴う実効軌道指数の増加や原子
価基底の柔軟性の補強を行い、また、軌道角運動量の大きな原子軌道に相当する基底を追加し
て原子軌道の分極効果を補うなどすると、得られる電子密度の精度が高まります。また、さま
ざまな方法で電子相関を考慮することによっても、電子密度の精度が向上します。それに伴っ
て、ビリアル定理からのずれも改善されて行きます。したがって、ビリアル定理に敬意を表す
ることに意味がないわけではなく、電子密度に基づく化学結合論を深めていくとき、ビリアル
定理がよく成り立つ電子密度を用いることは、望ましい方向であるといえます。けれども、エ
ネルギーを優先し過ぎて「力」をないがしろにすると本質を見失ないかねませんので、バラン
スのよい議論をこころがける必要があることを忘れてはなりません。
この小論をまとめると、
(1)従来からの原子軌道や混成軌道の重なりによる電子密度の増減で化学結合の形成・解離
を論じる議論は、本質を良く反映しており、世界中に普及しているテキストを廃棄したり
書き換えたりするには及ばない。
(2)より深い本質的な理解を進めるには、電子密度の働きを根本的に記述しているFeynman
の静電定理を導入して化学結合論を展開することが望まれる。
ということになります。
なお、思想・信条の自由は基本的人権として認められるべきものです。
・ 電子相関が考慮されない理論は、正しくないので、信じるに値しない。
・ 相対論が考慮されない理論は、正しくないので、信じるに値しない。
・ ビリアル定理を満たさない理論は、正しくないので、信じるに値しない。
と考えるのは自由ですが、そのように考えることで、科学的理解が進むかどうか、科学が進
歩できるかどうか、冷静沈着に考える必要があるように思われます。
問題に応じどのようなレベルの理論を適用して論じるべきか、そこに理論科学者の力量と見
識が問われるのではないでしょうか。
最後に触れておきたいことがあります。 実は、ビリアル定理とFeynmanの静電定理とは同
じ親から産まれた兄弟にあたります。 というのは、Feynmanは1939年に静電定理を導きま
したが、その導出過程で今は Hellmann-Feynmanの定理として知られている定理をみつけ
ています。頭にHellmannの名がついているのは Feynmanの2年前の1937年にHellmann
がその著書の中で同じ式を示していたからです。そして、このHellmann-Feynmanの定理
からビリアル定理とFeynmanの静電定理のどちらもが導かれるのですから、両者が同じ親か
ら産まれた兄弟ということができます。ビリアル定理は、「エネルギー」に着目し、運動エ
ネルギーと位置エネルギーの期待値の間の関係を示し、Feynmanの静電定理の方は、「力」
に着目し、原子核に働く静電気力の由来を原子核の正電荷と電子(電子密度)の負電荷とに
分けて示しています。同じところから出てきたものですが、「エネルギー」と「力」のどち
らに焦点を当てるかで、その科学的な意義が、くっきりとわかれてしまいました。それぞれ
の定理にそれぞれの良さがあります。同じ親から産まれても、それぞれ持ち味がはっきりと
違っていますが、えこひいきや仲たがいなしに、各々の個性を尊重し、それぞれの役割を、
まっとうに評価してあげることを、切に願いたいと思います。
**************************************************************************************
もう一度、最初の問を確認しておきましょう。
化学結合はどのような仕組みでできるのか? 化学結合の本質は何か?
あなたは、これらの質問にどのように答えますか。
**************************************************************************************
to the top of this page
化学反応の描像?
化学反応は原子の集団が時々刻々動いて反応物から生成物に至る動的過程です。それを1つの
ムービーで表現できたとして、それで1つの化学反応式で表される反応過程の全貌を明らかにし
たことになるでしょうか。残念ながら、そうはなりません。なぜなら、同じ反応式で表される反
応過程は、無数にありうるからです。つまり、1つのムービーは、同じ反応式で表される無数の
反応素過程のうちのたった1つについてだけ、その時間発展を詳細に記述したに過ぎません。そ
の反応が起きるとき、いつでも同じムービーで表現された通りに原子の集団が動くのであれば、
1つのムービーで話が済むのですが、実際は、いろいろな初期条件(実験条件や確率的な偶然に
左右される)にしたがって原子の集団が動き出す無数の過程があり得るため、1つのムービーで
は現実に起こりうることの非常にまれな一側面を示すに過ぎないことになります。
無数にありうる初期条件の1つ1つについて原子の集団の動きを記述するかわりに、原子の集
団に対するポテンシャル曲面が知られていれば、いつでも、必要に応じ、多数の初期条件を発生
させて、原子の集団の動きの時間発展を記述することができます。つまり、無数にあり得る動的
過程は、ポテンシャル曲面を知るという静的な描像によって、いつでも再現することができるの
です。したがって、無数にあり得る化学反応の動的過程を解明するためには、ポテンシャル曲面
について知ることが重要です。
ポテンシャル曲面上で、化学反応に関係してとくに重要なのは、極小点(平衡構造EQ)と一次
鞍点(遷移構造TS)です。ポテンシャル曲面上に存在する EQやTSを自動的に調べることは、
非常に困難でしたが、私たちが開発したGRRMプログラムでは、新しい探索アルゴリズムとして
ADDFとAFIRを搭載することによって、 EQやTSの自動探索を世界で初めて現実的に実施するこ
とを可能にしました。 これによって、ポテンシャル曲面上に存在する代表的な反応経路として
福井謙一先生によって定義された固有反応経路(IRC)を、自動的に探索することができるよう
になりました。
ポテンシャルはオブザーバブル(観測可能な量)ではない!などと、ポテンシャルを軽視する
人も居ます。ポテンシャル曲面は、原子の集団が動き回る無限の可能性を規定する、いわば大地
のようなものです。ポテンシャルが果たす役割をよく理解し、地に足をつけた議論をして欲しい
ものです。
to the top of this page