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 基 礎 か ら 学 ぶ 熱 力 学  概 要  



  はじめに(抜粋)

 人間などの生命体は灼熱や極低温の世界では生きて行けないが、冷暖房装置で熱の出入りを操
作して快適な環境を確保できれば、活動範囲が著しく拡大する。また、生命体は種々の物質との
関わりなしには生存できない。どのような物質も熱の出入りによって状態や性質を変えるので、
熱の出入りに伴って物質がどのように変化するかを知り、その知識を活かして物質を操ることは、
人間社会において重要な意義をもっている。実際、蒸気機関やガソリンで動くエンジンなどの熱
機関が発明され、自動車や工場の生産ラインに役立てられるなど、人力では不可能なことが実現
されている。冷暖房装置や熱機関の性能を向上させることは、地球資源の有効利用や環境保全の
立場からも重要な課題である。
 熱が関わる現象は、生命科学や工学の分野のみならず、基礎的な科学においても重要である。
熱は、摩擦のような機械的仕事や光や電気で作り出すことができ、エネルギ-の1つの形態とみ
なされる。ところが、力学エネルギ-や光学エネルギ-は完全に熱に変換することができるのに
対し、一旦熱になってしまうと、熱を完全に力学エネルギ-や光学エネルギ-に戻すことはでき
ない。このような熱の不可逆性は、自然科学だけでなく哲学的にも重要であり、このことが熱を
問題にする「熱力学」の学問的重要性を不動のものにしている。
 「熱力学」は科学的言語能力や論理的思考力の教育的観点からも重要である。熱は、熱素(カ
ロリック)として元素の1つに間違えられた歴史をもつ。熱という言葉は誰しもが使うが、その
意味は温冷の感覚を拠り所として主観的に把握され、科学的定義や意義が知られないまま日常的
に使われている。熱を定量的に計測し科学的に扱うための手段として温度計が発明され、物質が
行う熱交換の諸法則を記述する普遍的物理量として絶対温度が発見された。
 著者が大学に入学してから卒業するまでの4年間に受講した熱力学関係の講義(熱力学、熱学、
熱化学、化学熱力学など)は6つもあった。これに統計熱力学の講義2つを加えると膨大な時間
を費やして「熱力学」を学んだことになる。正直言ってその内容はほとんど思い出せないが、
「釈然としない議論」や「後味の悪い議論」があまりにも多く、「熱力学の講義は何度聴いても
よくわからない」という印象をもったことを記憶している(これは著者だけでなく多くの人に共
通するようである)。大学を卒業して12年程経ち熱力学を教える立場になったときに、「よくわ
からない」と学生からいわれない講義にするにはどうしたらよいかと思案した。熱力学の応用が
重要な学科の専門科目では、「どの教科書にも書いてある公式を現実の問題に適用する方法を教
えることに徹する」のがよいであろう。一方、自然科学の基礎科目として学習することが目的な
らば、「すべてに疑問を抱く態度で論理的な議論を徹底するやりかたで教える」のがより適切で
あろう。本書は概ね後者の立場をとっている。
 「徹底的に論理的な議論を進める」ことは、実は大変に難しい。ふつうは予備知識や暗黙の了
解を前提にして議論が進められるので、重要な情報や前提条件の記述が欠落していることがある。
また、言葉の使い方や受け取り方が曖昧なために、正しい論理が展開されないことが多い。熱力
学の正しい論理展開に重大な支障をきたしている例をいくつかあげてみよう。
(1)A≧Bは、「AはBに等しいか、または、AはBより大きい」ことを意味するが、より簡潔には
  「AはBより小さくない」と表現される。しかしながら、この表現は、短絡的誤解や勘違いを
  産みやすく、往々にして「AはBより大きい」(A>B)と解釈され、A=Bの可能性が消えてしま
  う。実際、「エントロピ-増大の原理」(S≧0)はその例であって、多くの教科書では「エ
  ントロピ-は増大する」(S>0)とだけ書いて同じ値を保つこと(S=0)の可能性が排除さ
  れた表現になっている。
(2)「エントロピー増大の原理」は、問題の対象が周囲と熱のやりとりをしないという断熱条
  件が前提となっているが、この条件を明記せず議論されていることが多い。また、「周囲か
  ら孤立している場合にエントロピー増大の原理が成り立つ」と表記されることが多いが、孤
  立条件は断熱条件の必要条件ではないので、もしも「孤立している場合に限り」と勘違いし
  たら誤りになる。
(3)「等温」「定温」という用語が出てくるが、「何と何とが等しいのか」「何が一定なのか」
  明記されていないことが多い。単に「温度」といっても、考察の対象となっている系の温度
  か、それとも、その周囲(外界)の温度なのか、明記されていないことが多い。また、「過
  程」や「変化」という用語が出てくるが、「過程」が変化の最初から最後に至る道筋すべて
  を指すのに対し、「変化」の方は、最初と最後だけに注目する場合と、過程の意味で使われ
  る場合とがあり、どちらの用法なのか不明なために混乱の原因となることが多い。
 このような表現上の手落ちや短絡的解釈のために、読者や受講者が奈落の底に落とされて脱出
不能に陥る危険地帯が、熱力学には随所にある。もしも誤解や勘違いを引きずるならば、先行き
どのような命運が待ち受けているか保証の限りでない。このため、熱力学は「何度聴いても、い
くら勉強しても、わからない」ということになる。
 本書では、読者がこのような危険地帯を安全に通過できるようにするために、ていねいに記述
することを心がけた。地に足をつけた正攻法こそが未開の地を独力で探索し開拓するときに役立
つ最善の方法である。道標のないところでは、憶測(非論理的推論)は通用しない。頼ることが
できるのは、経験事実(実験事実)に基づく健全な論理だけである。辛抱強く本書を読み進める
に従って、読者には次第に未知の領域に挑戦する自信と勇気が湧いてくるであろう。
 科学は、一方では必要から生まれた技術的工夫により発展してきたが、他方では観測事実の間
に普遍的に成り立つ関係の論理的考証によって築き上げられてきた。本書のねらいとするところ
は、実学的応用基礎としての「熱力学」の概要を述べるとともに、事実から学問が構築される典
型としての「熱力学」を、「既知から未知を創造する知的技法」の例として講述することにある。
 この目的のために、本書では構成上の工夫を行った。序論では、熱現象の概略と熱力学の歴史
的経緯の概要を示す。次に、用語の意味を根底から確認しながら、エントロピー概念が出てくる
ところまでを、余分なことを抜きにして徹底的に講述する。ここまで進めば熱力学の主要な論理
を制覇することができる。それが済んでから、熱力学の応用に役立つ概念や公式の意義が着実に
把握できるようにするとともに応用の技法の基礎を習得できるよう配慮して解説する。
 熱力学の学習には問題演習が肝要である。本書に精選収録した基本問題を解くことによって応
用力の基本を効率よく身につけることができる。さらに巻末に示した参考書等を利用すれば、応
用力の一層の充実に役立つであろう。
 本書の内容の大半は、東京大学の1年生に14年間にわたって行った講義ノ-トを土台にし、お
茶の水女子大学及び東京農工大学での講義経験と最近6年間の東北大学での講義経験を踏まえて
書き直したものである。レポートや試験の答案を分析して、どこがどのようにわかりにくいか、
それを解決するにはどうしたらよいか、試行錯誤の末に得た有効な手法を多数盛り込むこととな
った。本書がこれから科学や技術の世界に羽ばたこうとする人々の糧になり、また、科学や技術
の基礎を見直してみようとする方々のお役に少しでも立ち、既知から未知への挑戦と創造に些か
なりとも貢献することができれば幸いである。
 無機物から有機物を作ることは、Wholerによる尿素の合成で実現された。では、無生物から生
物を作ることは可能であろうか?この課題が達成される可能性を否定する事実は存在しない。チ
ャレンジ精神とは、失敗の不安を克服しつつ、可能性が否定されていない目標に果敢に挑戦する
勇気と情熱である。科学や技術の発展は、この精神に負うところが大きい。この精神が失われな
い限り、科学や技術は今後も際限なく発展して行くであろう。  2001年1月  



 目 次 (概要)

 §1 序論
  §1.1 熱の法則
  §1.2 熱機関の効率とエントロピ-の発見
 §2.熱力学の基本概念(1)
  §2.1 熱力学の立場
  §2.2 状態の記述
  §2.3 系の変化と相互作用
  §2.4 平衡状態
  §2.5 熱力学第0法則
 §3 熱力学第1法則
  §3.1 内部エネルギ-
  §3.2 熱力学第1法則
 §4 熱力学第2法則
  §4.1 熱の移動と温度の高低
  §4.2 Clausiusの原理とThomsonの原理
 §5 熱機関の効率
  §5.1 理想的極限と可逆性
  §5.2 効率の限界(Carnotの定理)
 §6 熱力学的絶対温度
  §6.1 理想機関に出入りする熱と絶対温度
  §6.2 熱力学的絶対温度の性質
 §7 エントロピ-
  §7.1 Clausiusの式
  §7.2 エントロピ-
 §8 熱力学の基本概念(2)
  §8.1 均一系と相
  §8.2 エントロピ-の絶対値と加成性
  §8.3 状態量の微小変化
  §8.4 準静的過程
  §8.5 条件付き変化
 §9 熱力学の諸関数と関係式
  §9.1 熱の出入りとエンタルピ-
  §9.2 反応熱
  §9.3 熱容量と反応熱の温度変化
  §9.4 Joule-Thomson効果
  §9.5 自由エネルギ-
  §9.6 熱力学の基本関係式
  §9.7 反応熱とエントロピ-変化
 §10 つり合いの条件
  §10.1 仮想変位の原理
  §10.2 開いた系の熱力学関係式
  §10.3 相平衡
  §10.4 Gibbsの相律
  §10.5 Gibbs-Duhemの式
  §10.6 相平衡と相転移
  §10.7 Clapeyron-Clausiusの式
 §11 理想気体と実在気体
  §11.1 理想気体の法則
  §11.2 熱力学的状態式
  §11.3 CVとCPの関係
  §11.4 気体分子運動論
  §11.5 実在気体
  §11.6 気体の液化と臨界現象
 §12 理想混合系
  §12.1 理想混合系の法則
  §12.2 理想混合系の化学ポテンシャル
  §12.3 溶液の束一性
  §12.4 混合のエントロピー
 §13 化学平衡
  §13.1 反応進行度
  §13.2 化学平衡の条件
  §13.3 質量作用の法則
  §13.4 平衡移動の法則
  §13.5 活量
  §13.6 平衡定数の温度変化
  §13.7 平衡定数の圧力変化




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