大野公一 本籍地 の 由来 


札幌市大倉山スキージャンプ競技場内大野精七博士顕彰碑(2003年8月)



大野公一の本籍地は、祖父 大野精七、父 大野公吉 から引き継がれたものです。

以下に、祖父と父の略歴を示します。

祖父 精七は、明治18年8月17日、茨城県河内郡生板村に、父忠助、母やすの次男として生まる。小学校卒業と同時に親元を離れて上京し、独逸学協会学校中学に入学。卒業後第一高等学校を経て東京帝国大学医科大学に入学し、学士号取得後、大正2年に東京帝国大学医科大学部産婦人科学講座副手となり、大正3年同病理学教室に転出して山極勝三郎教授のもとで人工癌の研究等に従事、大正7年東京女子医学専門学校講師となった後、大正10年北海道帝国大学助教授に任官し、ドイツ、フランス、アメリカに2年間の留学を経て、大正13年に北海道帝国大学教授として任官し産婦人科学講座(初代)を担当。医学部長等を勤めた後、昭和23年に北海道大学を停年退職。昭和20年北海道庁立女子医学専門学校長(初代)に就任し、昭和25年北海道立札幌医科大学長(初代)となり昭和36年まで勤務。このほか、日本婦人科学会会長、全日本スキー連盟の設立に参画し同連盟副会長・第5回冬季オリンピック札幌大会実行委員会副委員長、東日本学園大学学長、宮様スキー大会終生大会長等を勤める。

父 公吉は、大正6年2月17日、父精七、母みちの長男として東京に生まれる。番町小学校から札幌へと転校し、札幌第一中学を経て昭和8年北海道帝国大学予科入学。同11年医学部に進学し、同15年に卒業後、北海道帝国大学理学部化学講座副手となる。昭和17年北海道帝国大学医学部医化学講座助手、同21年助教授となった後、昭和24年北海道立女子医学専門学校教授、昭和25年北海道立札幌医科大学開学に伴い生化学講座主任教授に就任し昭和57年停年退職。

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