Koichi OHNO の
 サイエンス エッセー 

 

 



科学とは? - 見えぬものを見る -

(岩波「科学」創刊70周年記念特集号 2001年7月 : 段落等一部修正)


 空気は、最も身近なものでありながら誰しもがその存在を忘れがちなものである。
日々の仕事に追いまくられているときも、暇をもてあましながらぼんやりとしている
ときにも、いつも空気は我々を包んでいる。我々は、空気が生命の営みやものの燃焼
に不可欠であることを知っているが、その正体を己の眼で認識しょうとしても何も見
えない。見えないから何もないのかと思っていると一陣の風にその存在を思い知らさ
れる。                                   
                                      
 人々の目の前で空間から空気をとり除いて本当に何も存在しない「真空」を作って
見せたのはガリレオの弟子のトリチェリであった。1643年のことである。厳密にいえ
ば、トリチェリの真空には、水銀の蒸気が含まれてはいたが、常温での水銀の蒸気圧
は、わずか0.16 Pa(パスカル)であり、大気圧の101325 Paとは比べようもないほど小
さい。真空と比べて大気圧がいかに強い圧力を与えるかは、マグデブルク市長のゲー
リケが真空ポンプを作って1657年に行った実験によって明らかになった(2つの半球
を合わせ、その中を真空ポンプで減圧して両側から馬で引かせたところ、数頭では微
動だにせず、16頭でやっとはずれた)。                    
                                      
 こうして真空が誕生し大気圧の存在が実証されると、目に見えぬ空気が「気体」と
して認識されるようになり、その研究が進められた。ボイルは1662年に、気体の体積
が加えられた圧力で変化する現象を、ゲーリケの真空ポンプを用いて注意深く研究し
体積と圧力とが互いに反比例することを発見した。これがボイルの法則である。目に
見えぬ空気を加圧して押しつぶそうとしても、簡単にはつぶれず、完璧につぶそうと
すると無限に大きな力を加えなければならないことが明らかになった。ボイルは、圧
力を加えると気体がこれに抵抗する力を示すことから、気体は微粒子の運動によるの
ではないかと考えた。当時としては、これは単なる仮説であってなんら根拠のあるも
のではなかった。                              
                                      
 空気の正体についてのその後の研究は遅々として進まなかった。今ではボイルの法
則と並び称されるシャルルの法則(一定圧力下で温度が1度上がるごとに気体の体積
は0℃のときの体積の1/273ずつ膨張する)が発表されたのは 1787年のことである。
ボイルの法則が発表された1662年から、なんと125年も後のことである。 当時流行し
た気球による空中飛行が気体の熱膨張の研究に拍車をかけた。シャルルの法則では、
温度という目に見えぬ量が使われており、この温度概念と気体の通性とが結びつくま
でに1世紀以上の年月がかかったのである。                  
                                      
 空気は窒素と酸素からなり、約1/5の体積を占める酸素が 燃焼に不可欠な成分であ
ることは、ボイルの法則の発見から115年後の1777年に ラヴォアジェが発見した。ラ
ヴォアジェは、化学変化の前後で質量の総和が保存されること(質量保存則)を実証し
物質の構成要素として33の元素を発表した。その多くは今日でも元素として認められ
ているが、熱や光も含まれていたことは注目に値する。熱についても、熱いものと冷
たいものを接触させると、相互に熱量のやり取りがあるが全体の熱量は保存されるこ
と(熱量保存則)が、18世紀後半に見出された。ただし、氷が解けるときや水が沸騰す
るときのような相変化では温度が変わらないので、熱量保存則は破れるかに見える。
                                      
 ブラックは、潜熱という概念を導入して相変化を伴っても熱量保存則が成り立つこ
とを示し、熱が元素であるとする熱素説に強力な根拠を与えた。今でも「熱をもつ」
「熱がある」というように熱が実体として存在するかのように認識されがちである。
しかしながら、18世紀の終わり頃にランフォードやデイヴィーらが、熱は力学的作用
(砲身の加工や氷と氷の摩擦)で無尽蔵に発生することを実証したため、熱素説はあえ
なく否定されるに至った。                          
                                      
 見えぬものの研究は、19世紀に入るとさらに華々しく展開された。1803年にドルト
ンの原子説、1811年にはアヴォガドロの分子説が発表されて、目に見えぬものの実体
が原子や原子の結合体である分子等であるとする微視的科学の礎が次々に築かれてい
った。また、船医をしていたマイヤーが熱帯付近では水夫の血の色が妙に赤くなるこ
とにヒントを得て1840年にエネルギ-保存則を発見し、熱や光は元素ではなくエネル
ギ-の一形態として認識されるようになっていった。19世紀の後半には、気体の通性
として理想気体の状態方程式 PV=nRT が広く認められるようになり、さらにファンデ
ルワールスは、分子の大きさや分子間力を考慮した状態方程式(1873年)を提案した。
一方、気体分子運動論が展開され統計力学も築かれて温度や圧力の分子論的意味が明
らかにされた。                               
                                      
 近世の科学の歩みをほんの少し振り返ってみたに過ぎないが、我々の目には見えぬ
ものについて、科学が明らかにしてきたことの凄さや奥の深かさを再認識せざるを得
ない心境になる。21世紀の科学がどのように発展するか、百年後の科学はどこまで進
歩するか、恐らくどんなに想像を逞しくしても、予想外の様々な発見や発展があるに
違いない。もちろん、科学は未知のことを追究するが故に、真実ではない結論を一時
的に得ることや、仮説的もくろみがはずれてしまうことは、少なくないであろう。確
実にいえることは、在るか無いかさえ判然としないことや、うまく行くかどうか分か
らないことについて、実証的に論理考証を展開する英知と失敗することへの不安にう
ち勝って学究活動を継続する情熱とが途絶えてしまわない限り、科学がその進歩を止
めることはないであろうということである。英知と情熱の育成には、知的活動と情熱
的行動を楽しく体験する機会と余裕のある教育を行うことが肝要であろう。また、科
学を担う者の評価は大切であるが、もしも寸部の失敗をも許さぬような評価を行うな
らば、失敗が少なくなることと引き替えに、想像を絶するようなブレークスルーの誕
生確率も激減するであろう。                         
                                      
 久しぶりの休暇を、今、温泉地で過ごしている。ここには間欠泉がある。不思議な
ことに、一定の時間を経て熱水が地上に噴き出す。間欠的に噴出する熱水の勢いの凄
さと、それが止まった後の異様な静けさが、繰り返し観察されるだけで、目にするこ
とができない地面の内部で、いったい何が起こっているのか皆目わからない。しかし
間欠泉が途絶えずに繰り返されているからには、恒に水が補給され、それが噴き上げ
られるためのエネルギ-が熱の形で供給され続けているに違いない。熱水の噴出が停
止した直後は、地上の空気が噴出口から地下に吸い込まれ、地下の水温は沸点以下に
なっているであろう。補給される水で水面が徐々に上昇すると、地上には直接つなが
らない閉じた空間ができるかもしれない。やがて沸点に達すると閉じた空間に充ちた
蒸気の体積が急激に増し、サイフォンのような原理で熱水が地上へと噴き上げられる
のではなかろうか。間欠泉の仕組みについては、もちろん研究が詳細になされている
であろうし周期や噴出持続時間を決定する方程式も立てられているに相違ないが、そ
の成果を調べてみるよりも、こうして繰り返される現象をぼんやり眺めながら、自分
であれこれと考えてみると面白い。このような些細なことにも、科学的探求活動の醍
醐味はあるように思われる。                         


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